YouTubeチャンネルを始めてから
たった1年9ヶ月で登録数100万人を超える
「脱・税理士スガワラくん」の税理士・菅原由一さん。
菅原由一さんを、
もしやYouTuberだと思っている方も多いのでは?
そうですよね、
お金の勉強をしようと
質の良いYouTubeチャンネルを探していたら
「脱・税理士スガワラくん」に出会った。
なんていう人も少なくないでしょう。

引用元:菅原由一オフィシャルブログ
脱・税理士スガワラくんはYouTubeでの
わかりやすくて親しみやすい税務解説や、
実践的なセミナーを通じて、
「税金って難しそう…」というイメージを
「税金って面白い!」に変えてしまった税理士・菅原由一さんです。
そんな活動の積み重ねから、
「税理士=菅原由一」という印象がすっかり定着し、
今では、税務調査や、経営相談の依頼が、
ひっきりなしに舞い込むほどの人気ぶりです。
そんな中で、
菅原さんが“お父さんと絶縁状態”だという話を聞いて、
「えっ、どういうこと?」と気になった方へ
今回は、
『脱・税理士スガワラくん(菅原由一)は父親と絶縁状態に?生い立ちや父親との関係を深掘り!』
と題して、
菅原由一さんの幼少期から独立に至るまでの人生や、
父親との関係がどう変わっていったのかを
詳しくご紹介していきます!
菅原由一のプロフィール
いまや100万人越え人気YouTuberでもある脱・税理士スガワラくん菅原由一さんの基本プロフィールを確認しましょう!
本名 :菅原 由一(すがわら ゆういち)
生年月日:1975年11月8日(2025年現在49歳)
出身地 :三重県鈴鹿市
身長 :169.3㎝
家族 :奥様とふたりのお子様(娘さんと息子さん)
菅原由一さんには、綺麗な奥様と、
かわいいお子様がふたりいらっしゃるのですね。

引用元:Instagram
税理士といえば菅原さん
税務調査に強い税理士といえば菅原さん
セミナーが面白い税理士といえば菅原さん
ブログを書いている税理士といえば菅原さん
スタバ好きの税理士といえば菅原さん
引用元:菅原由一オフィシャルブログ
と、自らをブランディングしていると語る『脱・税理士スガワラくん』
菅原由一さんが父親と絶縁状態になった背景には、
家業の「事業承継」と「経営方針の違い」が大きく関わっているようです。
それでは、菅原由一さんの幼少期からの生い立ちや学歴を探っていきましょう。
菅原由一の生い立ちと学歴
菅原由一さんの幼少期から学生時代までの生い立ちはどうだったのでしょうか?
菅原由一の幼少期~学生時代までの生い立ち
菅原由一さんは三重県鈴鹿市で生まれ育ちました。
菅原由一さん自らが語る小学校2年生の時のエピソード

「家族4人で外食をしたんですよ。
母親が『由一こんなに美味しいお料理が食べられるのはお父さんが税理士だからだよ』と言われたんですよ。」

「そうなんだ!『だからあなたも税理士になりなさい』 と言われたんですね。街の中華屋で天津飯を食べて(笑)」

天津飯が大好きで、小2のとき、「これ食べるには税理士にならなきゃ」って思い込んじゃったんです。中学生になって「あ、別に税理士にならなくても天津飯は食えるな」って。でも5年も思い込んでたから、脳がもうそうなっちゃってて。
それが洗脳ってやつだよね。母親に洗脳された(笑)高校卒業する頃になってようやく、「税理士って勉強いるんだ…」って気づいた(笑)。
と、菅原由一さんは税理士になった理由について当時を振り返り語っています。
幼い頃から家族の期待を背負い、
父親が税理士という環境で育ったものの、
「好きで税理士になったわけではなく、言われるがままに進んだ」
と菅原由一さんは語りますが、
菅原由一さんは性格的に昔から「人と違うことをやってやろう」
という意識が強かったそうです。
小柄で運動神経も特別良い方ではなかったと振り返りますが、
サッカーチームではトップクラスの実力者で、
昔から「人と違うことをやってやろう」
という意志の強さで頑張ってきたそうです。
菅原由一さんの学歴
高校は地元の私立鈴鹿高等学校に進学。
成績は決して優秀とは言えず、「クラスでビリだった」と自ら振り返っています。
高校時代はサッカーとバンド活動に明け暮れ、
勉強にはあまり熱心ではありませんでした。
大学へは進学せず、専門学校へ行きました。
挫折と再起(高校卒業後、大学受験に挑戦するも全て不合格)
高校卒業後、大学受験に挑戦するも全て不合格。

大原簿記専門学校に進学しますが、
こちらも自分に合わず3年で中退。
この時、税理士の父親からは
「大学も行けなくて、専門学校も中退ってどういうつもりなんだ!」
と激しく叱責されたと言います。
しかし、ここからが菅原さんの真骨頂。
父の事務所を手伝いながら独学で税理士試験に挑み、
10回以上のチャレンジを経て29歳で合格。
学歴に頼らず、自力で道を切り開いたその姿勢は
「学歴で勝負するのではなく、実力で勝つ」という信念に裏打ちされています。
数字が苦手で、算数も得意ではなかったという菅原由一さんにとって、
税理士という職業は決して憧れの対象ではなかったようです。
しかし、幼少期に母親から刷り込まれた
「税理士にならなければいけない」という強い使命感は、
菅原由一さんをその道へと駆り立てる原動力となったのですね。
菅原由一さんと父親の関係
菅原由一さんとお父様の関係を探っていきましょう。
税理士の家庭に生まれ育った菅原由一さんにとって、父親は常に身近な「税理士」であり、その仕事ぶりを間近で見て育ちました。
父親の税理士事務所に入社

菅原由一さんは26歳の時、税理士である父親が経営する地元の税理士事務所に入社しました。
もともと父の跡を継ぐつもりで、29歳で税理士資格を取得。
29歳で税理士試験に合格した菅原由一さんは、
いよいよ父親が経営する税理士事務所で働き始めます。
菅原由一さんの父親は明治大学の出身であり、
その税理士としてのキャリアは、由一さんが幼少期から見てきたものと重なります。
これは、幼少期からの「税理士になる」という目標を達成し、
父親の背中を追う形でのスタートでした。
父とともに税理士法人を設立し、
徐々に経営の実務を担うようになりました。
父から事業承継を受ける形で代表に就任。
社長として経営を任されるようになったのでした。
経営方針の違いと親子の衝突
社長となって経営を任された菅原さんは、
お父様との経営方針の違いで親子の衝突が起こったと語っています。
父親は長年の経験と実績を持つ伝統的な税理士。
一方で菅原さんは
「これからの激動の時代を勝ち抜くためには新しいやり方が必要」
「お客様が喜んでくれるしごとがしたい」
と考え、
この価値観の衝突が、親子の間に大きな溝を生みました。
父親には「余計なことばかりしている」と言われましたが
菅原さんは「これからの時代に合わせた経営が必要」と主張したと語ります。
このような口論が続き、次第に関係は悪化してしまったそうです。
父親から独立への決断
菅原さんは父親から独立への決断をして父親の事務所を辞めてしまいます。
父とともに働き始めて10年、
36歳の時に決定的な喧嘩が勃発しました。
菅原さんは勢いで事務所を辞め、独立を決意します。
父は何十年と事務所経営をしてきた
実績があり、税理士としても素晴らしかった。
でも私は自分のスタイルがあり、
父のことは尊敬していたが、
これから激動の時代を勝ち抜くためには
今までのやり方を変える必要があると思って、
いろんな改革に乗り出した。
その一つが菅原流1%理論戦略である。
そしたら経営方針の違いにより、
父と喧嘩ばかりするようになった。
引用元:菅原由一オフィシャルブログ
社員を集めて「私についてきたい人は1週間以内に連絡をください」と伝えたものの、
誰からも連絡が来ず、
想定外の展開になった。と、いまでは笑いながら語っています。
最終的には2人の社員を説得し、
無理やり引き抜く形で独立しましたそうです。
この突然の独立劇は、父親から見れば「クーデター」。
税理士法人も解散となり、業界内では「菅原家は親子の縁が切れた」と噂されるほどの騒動となったということです。
ここでも、幼少期からの
「人と違うことをやってやろう」
という意志の強さが人生を前向きに道をつけていますね。
父親との完全な絶縁状態
菅原由一さんは36歳の時には父親と完全な絶縁状態になってしまいました。
独立後、菅原さんは両親と全く連絡を取らなくなったと語ります。
税理士法人の解散や社員の引き抜きという経緯もあり、
父親との関係は完全に断絶。
独立して半年後に息子が生まれても、
その「孫が生まれた」という報告すらしないほどの絶縁状態が続いてしまったそうです。
「独立して半年後に私に息子が生まれたけど、生まれたことすら報告しないくらい絶縁状態だった。」
引用元:YouTube
この親子の確執は、まるで大塚家具の父娘騒動のようだったと菅原さん自身が語っています。

引用元:菅原由一オフィシャルブログ
菅原由一が語る「2代目の難しさ」
菅原さんは「2代目・3代目の社長が会社を潰す理由」や「事業承継の難しさ」について語っています。
父親はゼロから事業を築いた苦労とプライドがあり、
2代目の自分は既存の仕組みをより良くしようと改革を目指す。
その価値観の違いが、親子間の衝突を生みやすいと分析しています。
また、父親の姿を間近で見てきたものの、
「実際に自分が経営者になってみて初めて分かる苦労があった」とも述懐。
独立後は資金繰りや社員教育など新たな苦労に直面し、
父親の偉大さや経営の厳しさを実感したと語っています。
菅原由一さんは、一時はお父さんと対立しましたが、関係を修復されました。
やはり菅原由一さんの家族への感謝や思いやりを
大切にする温かい人柄がより一層際立っています。
自分の意志を貫きながらも、親子の絆を大切にする誠実さと優しさが、菅原さんの魅力ですね。
菅原さんの父親との絶縁の理由は何だったの?
菅原由一さんの父親との絶縁の理由は何だったのでしょうか?
菅原家の親子絶縁は、単なる感情のもつれではなく、「家族経営」ならではの複雑な問題が絡み合っています。
- 事業承継の難しさ
先代の価値観と新しい時代の経営観がぶつかることで、親子の対立が先鋭化しやすい。 - 独立のタイミングと方法
菅原さんは父親の事務所から社員を引き抜き、税理士法人も解散。
これが父親にとっては「裏切り」と映り、修復困難な関係となった。 - 業界の目
親子で作った税理士法人を解散させる事例は当時ほとんどなく、業界内でも大きな話題となった。
まとめ
ここまで『脱・税理士スガワラくん(菅原由一)は父親と絶縁状態に?父親との関係を深掘り!』と題して、
菅原由一さんのお父様との絶縁状態の真相を探って参りましたがいかがでしたでしょうか?
- 菅原由一さんと父親の絶縁は、「経営方針の違い」と「事業承継の難しさ」が主因。
- 独立時の社員引き抜きや税理士法人の解散が、親子関係を決定的に悪化させた。
- 絶縁後も菅原さんは独自の道を切り拓き、YouTubeや書籍で活躍。
- 家族経営・事業承継のリアルな葛藤が、同じ悩みを持つ人々の共感を呼んでいる。
親子であっても、経営の現場では時に“絶縁”という選択を迫られることがある――菅原由一さんの経験は、そんな現実を赤裸々に物語っています。
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