昭和から平成令和と時代の移り変わりによって
テレビの中で見かけるお笑い芸人さん達の姿も、
その時代によって変わってくるのは普通ですが、
明石家さんまさんは、
ビートたけしさん、タモリさんと共に
昭和からずっとビッグ3と言われてお笑い界を牽引してきました。
お笑い界、タレント、俳優、舞台演出、、
日本人なら知らない人はいないさんまさん。
全てが順風満帆に見えるさんまさんですが、
テレビの中ではないさんまさんの姿は
あまりよく知らない方も多いのではないでしょうか?
明石家さんまさんのこの言葉が好き。変に背伸びしなくていい。ありのままの自分で過ごすことが大切です。 pic.twitter.com/CQi8Rlp0jU
— ひさ (@hisa_lifehack) August 27, 2024
よくさんまさんの一般人へする対応を
『神対応』と
表現する人も多いですよね。
今回は
『明石家さんまさんの壮絶な生い立ちから育まれた笑いの神様哲学者⁈』
と題して、
明石家さんまさんの学歴
明石家さんまさんの生い立ち・家族構成
から、さんまさんの普段の姿を調べてみます。
そして、
そこからわかった明石家さんまさんの素晴らしい人格から
なにか学ぶべきモノはないか、
探ってきたいと思います。
明石家さんまのプロフィール・本名
明石家さんまさんの本名 :杉本 高文(すぎもと たかふみ)
生年月日 :1955年(昭和33年)7月1日 (69歳2024年現在)
出身地 :和歌山県東牟婁郡古座町
身長 :172㎝
趣味 :スポーツ観戦(テニス・サッカー・ゴルフ)
1974年 :吉本興業入社
(入門 :二代目 笑福亭松之助の弟子)
明石家さんまさんの学歴
明石家さんまさんは19歳でお笑い界「吉本興業」に入社後、
大学には進学しませんでした。
出身高校 :奈良県立奈良商業高校
出身中学 :奈良市立三笠中学校
出身小学校:奈良市立鼓阪(つざか)小学校
明石家さんまの生い立ち・家族構成
明石家さんまさんは、いつも元気で明るくて、
私たちを幸せにしてくれる、
悩み事なんてないんじゃないかと思うのですが、
悩み事を悩み事として受け取らないのでしょうか?
でも明石家さんまさんの生い立ちは壮絶過ぎるほどでした。
さんまさんは
そこにはいろいろな葛藤や苦労があった事を語っています。
もう少し詳しく調べてみましょう!
さんまさんの家族構成
さんまさんの家族構成は:
ご両親、お兄さん(正樹さん)、さんまさんの
4人家族でした。
お父様 :杉本 恒 (すぎもと ひさし)
お母様 :つぎ代
実兄(6歳年上):正樹
祖父 :音一
祖母 :ちえ
継母 :すみ江
義弟 :正登
2006年に、
父、杉本恒さんは76歳で亡くなっています。
さんまさん40歳までの歴史
さんまさんは、
和歌山県東牟婁郡古座町で杉本家の次男として生まれました。
さんまさんが生まれて半年くらい経って、
家族は奈良県奈良市へ移り、
『杉音商店』というさんまの干物などを加工する水産加工会社を営みます。
さんまさんが3歳の時に
お母様が病気のため他界します。
幼少期2-3歳の時に突然母親と離れるのは、
心理学的にもとてつもなく辛いことですので、
相当辛い思いをされたことと思います。
明石家さんまさんが8歳の時に、
お父様が再婚、弟が誕生し
さんまさんは、「年の離れた弟ができて嬉しかった。」
と話しています。
さんまさんは年の離れた弟のことを「ちび」と呼んで大変かわいがっていたそうです。
しかし、お父さんと再婚した母親から見て、
義理の息子である さんまさんやさんまさんの兄の正樹さんには、
継母は心を開いてくれていなかったようにさんまさんは感じてしまいました。
「その母が昔、隣の部屋でお酒を飲みながら、『うちの子はこの子(弟)だけや、、』って言っているのが壁伝えに聞こえてきたんですよ。兄とふたりで二段ベッドで泣きましたわ」
子供の頃の親のこのような言葉は
本当に辛い言葉だと思いますね。
だからさんまさんは、お酒は大嫌いなんだそうです。
さんまさんは少年時代、
夏休みや冬休みは、
故郷である和歌山で過ごしました。
そこで親戚を大笑いさせた経験が発端となってお笑いに目覚めたと言います。
小学4年生の時
同級生と漫才コンビを組んでクラスの人気者になったそうです。
それでは泣き虫だったさんまさんは「これからは一切泣かなくなった」と語っています。
さんまさんの幼少期は、意外にも泣き虫だったんですね
中学生高校生の時には、
文化祭などでも学校中の生徒を笑わせていたそうです。
高校3年間は毎日人を笑わせることだけを考えていたそうです。
1974年高校卒業したさんまさんは、
笑福亭松之助師匠に弟子入り
後にも先にも笑福亭松之助師匠の笑いのセンスは他にはないと語っています。
「笑福亭さんま」として芸人活動を始める。
しかし弟子入りから半年後東京へ、、
愛する女性を追いかけて東京都江戸川区小岩へ移り住むが、、
思うように行かず、
そのまた半年後には笑福亭松之助師匠の元へ戻り、
師匠は温かく迎え入れてくれて、
さんまさんが19歳の時、
「明石家さんま」と芸名を変えて心機一転する。
さんまさん20歳の時、
日!本テレビ 『11PM』でテレビデビューします。
さんまさん22歳の時、
桂三枝さんの推薦で関西の
『ヤングおー!おー!』レギュラーメンバーになりました。
さんまさん26歳の時には
フジテレビ系『オレたちひょうきん族』のレギュラー放送で
タケちゃんマンの敵のブラックデビル役で関東日本全国へ大々ブレイクを果たします。
出典元:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRvuPfcipPrbyGaiGqRKN25cMjy3S00pDckEw&s
さんまさん27歳の時
漫才ブーム、人気絶頂の時。
実家が火事で全焼し、弟が灯油自殺だったのか?という噂が飛び交う。
弟の正登さんは、奈良育英高校サッカー部のキャプテンで、
インターハイにも出場するほどの腕前で、
FIFAワールドカップに行こうと約束していた矢先の出来事だったといいます。
そんな時に自宅が全焼し、マスコミの報道に
明石家さんまさんといえども、ショックで笑いがとれなくなり
芸人をやめようか、、とまで考えました。
同期の「オール巨人」さんが、
お前んち、兄弟焼いたらしいな
と敢えて触れたくれたおかげで、
そや、材木切れたから代わりに焼いたんや
と笑いに変えることができ乗り切れた事ができたと語っています。
いつの時代も、
真相がわからないまま報道し
当事者の気持ちを考えないマスコミは
問題だと思いますね。
出典元:https://chie-pctr.c.yimg.jp/dk/iwiz-chie/que-14145615304?w=999&h=999&up=0
それにしても、
こんな辛いことがあっても、
その辛いことをネタにして
乗り越えられるさんまさんは、
やっぱり笑いのプロとしか言い様がありませんね!
さんまさん29歳の時、
大阪から東京へ拠点を移し、
フジテレビ『笑っていいとも!』でもレギュラー
『さんまのまんま』が始まる
さんまさん31歳の時、
『男女7人夏物語り』大ヒット
キッコーマンポン酢醤油のCMの大ヒット
さんまさん33歳の時
1988年9月29日
大竹しのぶさんと結婚
3歳の二千翔(にちか)くんと3人で暮らし始める。
34歳の時、
長女IMALUさんが誕生します。
37歳の時、
大竹しのぶさんと離婚します。
「子は春日井の甘納豆」「バツイチ」
という言葉が生まれました。
40歳の時、
『笑っていいとも!』をスタッフのいざこざが原因で卒業することになります。
見返りを期待しないのは神様ではなく仏様!
「努力を認めて欲しい人は失敗しますね」
「見返りを期待する人はダメね」
さんまさんの努力に対する考え方がその通りすぎる… pic.twitter.com/6zi3gEPwfq
— ソウタ|インスタ"唯一無二性×属人型"マネタイズ (@sotainsta) August 30, 2024
いつもテレビでふざけてばかりいるという印象のさんまさんは、
まとめと感想
明石家さんまさんの本性は真面目で
正に本物の芸人魂というものを教えてもらいました。
さんまさんは「お笑い」に対して強い責任感を持っているように感じました。
視聴者を楽しませるために常に全力を尽くしてくれています。
さんまさんは普段の生活でも、
自分が楽しむだけでなく、
周りの人々も笑顔にすることを思っていて、
本当にそこが神様仏様なんだと感じます。
さんまさんは単なる演出ではなく、
本当に人々を喜ばせたいという気持ちからあふれ出ているので、
私たち素人は心から笑えるのだと思いました。
さんまさんの歴史を知って、
さんまさんは、試練や困難を経験してきていて、
そうした経験が人間性に深みを与えているということもわかりました。
明るい外見の裏には、非常に賢明で感受性豊かな一面が隠れているのですね。
普通の人には決して真似のできることではない。
奇跡のような人ですね!
明石家さんまさんと、同じ時代に生きて、さんまさんの笑いをテレビで見れていることは
こんな私も、奇跡の一瞬を貰っているような気がして、
嬉しくなってきました!
明石家さんまさんに心から感謝を伝えたいです!
「いつも笑わせて下さりありがとうございます」
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